こんにちは、ゆきです☺️早速ですが、今日も書きます復活!都市伝説シリーズどうか、ネタが尽きるまでお付き合いください♥️笑今日は日本の偉大な作曲家滝廉太郎の都市伝説をひとつ瀧 廉太郎は、日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽における代表的な音楽家の一人です。
代表曲は「荒城の月」「花」などありますが、実はもっと有名な曲を作っていることはあまり知られていません。
それは、「鳩ぽっぽ」「雪やこんこ」
曲名を聞いただけで、歌詞が思い出されるあの曲か。と思われるかもしれませんが、実はそれらの曲名は「鳩」「雪」という曲名なのです。
しかしなぜ、瀧廉太郎が似たような「鳩ぽっぽ」「雪やこんこ」を作曲しているのか。
謎を紐解く鍵は作成された年と歌詞にあります。
作成された年は、「鳩ぽっぽ」- 1901年、「鳩」- 1911年。「雪やこんこ」- 1901年、「雪」- 1911年。
歌詞は、「鳩ぽっぽ」・「鳩」が似通っている歌詞であり、「雪やこんこ」・「雪」も似通った歌詞なのです。
つまり、瀧廉太郎が作曲した「鳩ぽっぽ」・「雪やこんこ」が作られた10年後に、誰かが歌詞とメロディーを少しだけ変えた曲が作りなおされているのです。
「パクリじゃないか!」と怒っても良いはずの瀧廉太郎は「鳩」「雪」が作られた数年前に23歳の若さで亡くなっており、「鳩」「雪」の作詞、作曲者は不明とされています。
当時、文部省が子供向けに楽しく歌えるような曲を作ろうとするも、子供にはウケの悪い堅苦しい曲しか作ることが出来ない状況に現れたのが、若き天才作曲家瀧廉太郎。
瀧廉太郎の作った子供向けのポップな曲は、どんどん評判を呼んでいきます。
若造に面子を潰された文部省は、瀧廉太郎という才能を日本から追い出すように、自らの意思ではなく強制的に単身ドイツに留学させます。
ドイツに留学させられた瀧廉太郎は、たった4ヶ月で当時は不治の病である結核に、、、。
その数年後、療養中の1903年に結核を原因に死亡。
そして、瀧廉太郎の残した楽譜は、結核菌が付いているかもしれないという理由で燃やされてしまうのです。
瀧廉太郎がドイツに留学に行ったのは、
文部省が日本から追い出したかったのか、
ドイツで結核に罹ってしまったことすら
文部省の仕業なのか
を私達がが知る術はありません。
しかし、瀧廉太郎が生前最後に残した曲「憾」にメッセージとして込めたのではないかと考えられています。
その遺作「憾」とは、彼がこれまでに作っていたポップな曲とは打って変わって、非常に悲しいメロディーで、これまでに作曲した曲にはあった歌詞もありません。
ちなみに「憾」という曲名の読み方は「憾(うらみ)」。やはり、滝廉太郎は誰かに意図的に殺されたのかもしれません、、、信じるか信じないかはお兄様次第です️ゆき⛄
[投稿日]2024/03/29 12:03